楽しいの天才【ニジガク3rdアルバム感想】

キズナエピソードのネタバレはほぼありません。







素直な気持ち

とにかく明るくて元気なメロディ、比喩もなく素直でまっすぐな「愛自身の気持ち」で語られる歌詞は愛の歌の大きな特徴だと言える。


それ故に聞いていると自然とアガれて元気が貰える。貰った元気が多すぎて涙が溢れてしまう人もいるが、気持ちはめっちゃ分かる。


で、「楽しいの天才」もまっすぐな言葉で愛の気持ちが綴られているわけです。ところでこの記事では一切キズナエピソードの話はしないのですがそれはとにかくキズナエピソードを見てほしいからです。


こんなことを言うと怒られるかもしれませんが、1stライブ後に更新したキズナエピソード内にはめちゃくちゃ重要な話とか過去とかそういったものは少ないです。*1


例えばエマのキズナエピソードは読んでいないと、どうしてエマが「哀温ノ詩」を歌っているのかはほぼわからない。だから僕も周りには「エマのキズナエピソードは読んだ方がいいよ」と言っています。
まあブログではネタバレしまくっているわけですが。。。


でも「楽しいの天才」は愛の気持ちがそのまま乗った歌詞であり、それ単体で聞いていても歌詞の意味がわかり易い。キズナエピソード見てないと全く意味がわからない部分って言うのはないんですよね。愛の性格や器量の良さを考えても、「楽しいの天才」を聞いて"楽しいの天才"ってどういうこと? とか"楽しいから笑うんじゃなく笑うから楽しいんだ"ってよく分からないんだけど……とはなりにくい。だからキズナエピソード自体は読まなくても実は十分ライブは楽しめてしまうかもしれない。


でも実際には「楽しいの天才」を歌う経緯というのは勿論ちゃんとあるわけです。誰がしかに向けて何らかの意図があって歌われた曲であるわけです。そうした背景は知らなくてもいいかもしれないけれど、理解していた方が絶対に楽しいと思うんです。だから、愛のキズナエピソードをまだ読んでいない人は是非これから読んでほしいなと思います。*2


f:id:goma_es:20200910205810p:plain
やはり天才なのだ



ライブについて

超楽しみにしているのが「愛ラップ」!!
「楽しいの天才」もそうだけど「SUPER NOVA」にもあるときた。

愛らしい勢いに乗ったラップは絶対に楽しいでしょ。












*1:無いとは言ってないので、念為

*2:LLDのニジガクSPECIALの村上奈津実さんのインタビューでも、脚注を付けているライターがキズナエピソードを読むことを推奨している

Margaret【ニジガク3rdアルバム感想】

隠れた素顔

「Margaret」のウリはまさしくアンニュイなかすみんです。アンニュイなかすみんのウケがいいことは「無敵級*ビリーバー」を見ても明らかなことですみなさんチョロいですね
ここでの「アンニュイ」は物憂げな、という意味でしょう。自分は本当に可愛くいれているのか? みんなは私を可愛いと思ってくれているのか?
可愛いを自称するかすみでも悩んだり、自信を無くしたりすることはあるわけです。


同じくアンニュイなかすみが描かれる「無敵級*ビリーバー」は、「悩むことはあるけれど自分を信じて前向きに進んでいこう」という内容になっています。
一方の「Margaret」は「悩んで笑えないときもあるけれど、そんな自分も見てほしい」という内容であり、「無敵級*ビリーバー」とは着地点が異なっています。


誰よりもいっぱい笑顔絶やさないように
今日も私はちゃんと可愛くいなくちゃ
部屋で一人考えたの



いつも好きでいてくれる君にとって
一番でいたい


今まで鬱陶しいくらいに可愛さアピールをしてきた女の子が突然しおらしくなって、「本当の私はこんなだけど、それでも好きでいてくれる……?」なんて言ってきたら流石に心が揺れ動きそうになりませんか? 僕は歌詞を読んでいて不覚にもきゅんとしましたが??????


「Margaret」はファンクラブ向けのライブでのお披露目ということになっていますが、今の「可愛いかすみん」を好きでファンクラブに入ったファンからしたら「Margaret」の破壊力はとんでもないものだと思います。


f:id:goma_es:20200909023615p:plain

f:id:goma_es:20200909023632p:plain
キズナエピソード19話より。かすみはアンニュイかすみんはあくまで「作戦」と言い張っていますが、素顔の方も可愛いと言ってもらいたいのは本心でしょう






スペシャル・マーガレット

マーガレットの花言葉は「秘めた恋」「真実の友情」「信頼」「誠実」のように色々な意味があるようです。マーガレットという言葉は次のように歌詞に登場しています。



ヴェールが包む隠れた私
驚かせちゃってほんとにごめんね
でもどうしても繋がりたいから
スペシャル・マーガレット!


「好きでいてくれる君」と、もっと深く繋がりたいから隠れた私を見せる……いやしおらしいですね……


ここでの"スペシャル・マーガレット!"は「好きでいてくれる君」への「秘めた想い」とか「格別の親愛」とかそんな感じの意味かなあと思います。タイトルの「Margaret」もたぶんそんな感じだと思います。


















ちなみにですが、マーガレットは色ごとにも花言葉が付いているらしく、黄色のマーガレットの花言葉「美しい容姿」


かすみがタイトルを付けたとしたら、しおらしくなっても心の底には自分の可愛さへの執着が残っている感じがしていいですね。かすみっぽい。
でもタイトル付けは"先輩"がしてくれていても、それはそれで良きかな……と思いますね。

Märchen Star【ニジガク3rdアルバム感想】

※近江彼方のキズナエピソードを読んでください……

いやこれは結構マジなお願いで、この記事の中には僕の想像でストーリーや登場人物の心情を解釈している部分が多いからです。
実際のところ、ストーリーを見てどう思うかは人それぞれなので。これは彼方に限った話ではありません。

イチオシのメンバーのキズナエピソードだけでも2nd前に振り返って、メンバーの曲の歌詞も読みつつ、その中身を自分の中で整理する時間を作ってみては如何でしょうか?










































































偉そうなことを書きましたね。失礼しました。








歌について

まず初めに「Märchen Star」に関して言いたいことは、彼方の夢の世界観が自然と思い浮かぶほどにメロディも歌詞も素晴らしいということです。
瞼を閉じればすぐに夢の世界に連れていってくれるかのような……魔法のような歌です。ほめすぎ? いやだって推しの歌だもんしゃーないやん。

昨今はサブスクの時代ですが、一度は歌詞カードを手にとって聴いてもらいたいですね。より彼方の夢の世界を深く感じられるはず。



フワフワ枕雲と
お菓子の町 見下ろして
プラネタリウムの空


目覚まし時計の森
お昼寝ベッドの丘越え
月明かりのカーニバル



また、歌詞カードを見た方はお分かりと思いますが、バックコーラスのクレジットにRyota Saito氏の名前が記載されています。


ラブライブ!で男性ボーカルのコーラスが入るのは非常に珍しいですよね。Ryota Saito氏のバックコーラスは歌の一番最後の"Lululu Lululu Lululu…"の部分。*1
落ちサビ前に"一緒に歌おうよ…"というフレーズがあるため、ファンも一緒に歌っている情景をイメージしてバックコーラスを入れているのかという考えに至りましたが、いや……いやそれはちょっとエモーショナルが過ぎるのでは????????????


普通に考えたらコーラスは全部彼方でいいはずです。そこにわざわざ彼方以外の声でコーラスを入れるのは、何か意図があるとしか考えられません……


更に言えば、"一緒に歌おうよ…"後の落ちサビそのものにはバックコーラスは入ってませんが、仮にそこも一緒に歌ったとするとお互いに「Märchen Star」をプレゼントするかのような状況が生まれます。
いや、もうね…………





まあ作詞作曲のRyota Saito氏が彼方のことが大好きすぎて辛抱たまらずどうしても曲の中に自分の声を入れたくてバックコーラスとして入れてしまったという可能性もなくはないと思っています(ごめんなさい)。*2






「わがまま」の変遷

ひとまず落ち着いて、次は「Märchen Star」が歌われる経緯やその歌詞の内容について考えてみたいと思います。
そのために、これまでの彼方のキズナエピソードを振り返りたいと思います。



彼方がスクールアイドルをやる理由は大きく二つあって、ひとつは、



f:id:goma_es:20200908184218p:plain
キズナエピソード3話より




まあ、言うまでもありませんね。*3





遥の存在そのものが、彼方のスクールアイドル活動に対するモチベーションであり、自身が活動をする理由となっていますが、遥のことが大好きすぎるあまり、彼方は「自分のために」「自由に」スクールアイドル活動をできていないのでないか、自分のために我慢しているところがあるんじゃないかと、遥は心配に思ったわけです。彼方のステージを見て、それが良かったから、余計に。


彼方からすれば、「遥ちゃんが大好きだからスクールアイドルをやる」というのは遥のためでもあり自分のためでもあるわけですが、彼方が遥のことを大切に思うのと同じくらい遥も彼方のことを大切に思っているわけで、「私のためにやりたいことが自由にやれていないのではないか」「他にももっとやりたいことがあるんじゃないか」と遥が思うのは自然なことに感じられます。*4


更に、彼方は家事と勉強を疎かにはできず、スクールアイドル活動に時間をかけすぎることはできません。家族のことを大事に思っていて、自分のやらなきゃいけないことが分かっているから、彼方はスクールアイドルをやっていることを「わがまま」だと思っているのです。しかし、遥からすれば、わがままだなんてとんでもないことで、もっと自由に色々やってほしいと思っている。
彼方は「遥ちゃんにふさわしいお姉ちゃんになるために頑張る」と語っていますが、遥にとっては普段から家事も勉強も頑張っている時点で既に「格好いいお姉ちゃん」であり、だから少しでも彼方の負担を減らして彼方が自由に生きれるように、わがままにスクールアイドルができるように「姉離れ」のための行動をするわけですね。



f:id:goma_es:20200908194421p:plain
メインストーリー1章第8話より。恐らく編入直後で、頼れる人間が少ない中での成績ダウンは本人にとって相当堪えたのでは



f:id:goma_es:20200908194929p:plain
キズナエピソード6話より。そんなことないよ……




その後彼方は遥の気持ちを理解して、周りを頼って「わがまま」に自分のやりたいことをやるようになっていきます。彼方の言う「わがまま」は「やらなきゃいけないことがある中でスクールアイドル活動をすること」から「いっぱい頑張って、みんなから元気をもらうこと」に変わっています。ここまでがキズナエピソード13話(1stライブ直前までの更新分)までのお話となっています。

13話の挿入歌的存在である「My Own Fairy-Tale」は、彼方が自由にわがままにスクールアイドルをやるにあたっての決意表明みたいな歌であると言えるでしょう。



f:id:goma_es:20200908195633p:plain
キズナエピソード13話より。二人とも相当嬉しかったと思います……良かったね……(号泣)







いつでも頑張れるお守り

キズナエピソード16話以降は彼方がファンクラブを結成し、自分のやりたいことをとことんやるというストーリーとなっています。
「Märchen Star」は彼方が「夢の世界でライブをする」ために作った歌ですね。



ところで彼方はスクールアイドルが好きな理由として、以前からこのように言っていました。



f:id:goma_es:20200908201953p:plain
キズナエピソード7話より


これは彼方の「わがまま」にも繋がっている部分です。
みんなから元気を貰えるから頑張れる、みんながいてくれるから夢を見ていられる……だからいつも元気をくれるみんなや、今まで支えてくれた人たちを夢の世界にご招待する……それが「Märchen Star」という歌です。



どんな夢だってね みんながいてくれるから
叶えられちゃう ここはそんな場所なのです!
お星様掴んで プレゼントさせてほしいの
いつでも 頑張れる
お守りだよ Märchen Star


どんな時だってね みんながいてくれたから
夢をみられる 溢れ出すのは「ありがとう」
ちゃんと言葉にして プレゼントさせてほしいの
あなたは いつだって
私だけの Märchen Star



Märchen Starというワードは、パワーをくれるみんなと彼方を繋ぐ象徴的な言葉だと言えます。
彼方にとってのMärchen Starは遥や同好会のメンバーや"あなた"、「彼方のことを好きでいてくれているみんな」のことであり、また彼女らにとっても自分の存在がMärchen Starであって欲しい……
歌詞からは彼方のそんな願いが聞こえてくるようです。



こんなことを歌にして聞かされた遥の気持ちを想うだけで胸がいっぱいになりそうです。
ライブ中は画面を直視できないかもしれません……
一人で見る予定にしていて本当に良かった(つよがり)。



f:id:goma_es:20200908205039p:plain
キズナエピソード21話より



更に泣けることに、Cメロの歌詞では「未来」を「ゆめ」と読ませています。
彼方にとっての夢は一人で見るものではなく、この先もみんなと見続けていたい、そんな世界になったのですね。





ライブについて

彼方の夢の世界がステージ上でどう再現されるか……これはかなり気になるところです。
そこに魔法使いのような衣装が合わさってどんな夢の世界が見られるのか、本当に楽しみです。

スクスタでもなるはやで実装していただきたいところです(六本木に念を送る)。


余談。前向きな内容じゃなないがメモとして残しておきたいので
・スクス/タでは彼方が遥のお世話をしているような感じですが、スクフェ/スでの二人の関係はどちらかというと逆です。
・彼方に関してはスクフェ/ス→スクス/タで性格の改変が大きく、編/入の設定についてもおそらく明かされていません(しず/く、エ/マも同様)。
 彼方は東雲学院高校の生徒だったわけですが、そのまま東雲学院に残っていれば遥と一緒にスクールア/イドルができたはずです。
 にもかかわらず虹ヶ咲への編/入をするということは、決して小さくない理由があると思うのですが……アニメに期待でしょうかね。
・この辺りを考えると遥がニジガ/クのメンバーになるというのはちょっと厳しいかな……という感じです。
 納得いく物語が語られなければ受け入れられないかもしれません。偉そうなこと言ってますが……
 

*1:もしかしたら前奏の部分にもバックコーラスが入っているかもしれませんが、正直聴きわけができませんでした。俺は弱いッ……!!!

*2:曲の雰囲気作りのために彼方では出せない声色のコーラスを入れたかったから、自身のコーラスを加工して曲に盛り込んだ、あたりが一番あり得そうな可能性だと思っています

*3:もうひとつは"スクールアイドルをやっているとみんなから元気を貰えるから"。しかし遥がお弁当を受け取ってくれなかった際、ライブで貰った元気が全部なくなっちゃったと言っており、遥の存在が彼方のスクールアイドルをやるモチベーションに与える影響が非常に大きいことが分かります

*4:キズナエピソード上で遥がこのようなことを明確に発言していたわけではありませんので、念為

LIKE IT! LOVE IT!【ニジガク3rdアルバム感想】

※せつ菜のキズナエピソードの内容に触れています。








































君の大好きのカタチ 僕の大好きのカタチ

せつ菜のキズナエピソードでは、せつ菜の大好きへの在り方がアップデートされましたね。


f:id:goma_es:20200907142628p:plain


f:id:goma_es:20200907142647p:plain
キズナエピソード第20話より


せつ菜の言うとおり、「大好き」とはなろうと思ってなるものではなく、気が付いたらなっているもので、だからこそ他者と同じ気持ちになることは難しいわけです。オタクとしてはうんうんと頷く話でもあり、耳が痛い話でもあります。まあオタクに限った話でもないわけですが。



耳が痛い話というのは、例えば、自分の趣味を広めようとしても周囲に理解されなかったり、広めても自分とは熱量が違ったり……あるいはその逆に布教された趣味やコンテンツは好きになったけれど、布教してくれた友人と同じくらいのめり込むほどではない……周囲とのギャップに戸惑ったそんな経験です。自分の(他者の)好きなコンテンツを布教した(布教された)オタクからすれば、このような感覚を覚えたことは多いと思います。



趣味やコンテンツに対する自分の中の熱量の違いというのは、自分で嫌というほどはっきり自覚できるものです。それはコンテンツへの入り口に自発的に入ったか、他者から勧められて入ったかはあまり関係なく、純粋に自分の好みであるどうか。刺さる部分がどれだけあるか。*1



しかし自分の気持ちに正直でいないと、このコンテンツは好きだけど、それは間違いないんだけど、それでも自分の中に「これを好きになろうとしている」という気持ちがある、どうも全面的に大好きだと言えないような感覚がある……というように、せつ菜がライブで抱えたようなイマイチ乗り切れないモヤモヤした気持ちを抱えることになりかねません。



コンテンツの全てが好きになるという人はあまりいないと思います。どこかしらに「これは自分には合わない」という部分が存在している。にもかかわらず「自分には合わない」というものを好きになろうという思考に陥ると、これは不幸の始まりだと思います。こうした思考に陥る原因は外部にも自分の内部にもあると思います。例えば自分はそんなでもないのに周りは好きだから……とか、好きなものは細部まで好きでいなくちゃいけないという思い込みとか。



ましてや人から教えられたものであれば、自分はその人ではないのだから、その人の「大好き」が完璧に分かるはずもありません。他者の抱える大好きのカタチと、自分がそれを好きだと思うカタチは一致しない。一致せずはみ出した部分を分かろうとすることはできると思いますし、実際に分かるケースも多くあるでしょう。しかしすべてが理解できるものであるという考えは、栞子が言った通り"独善的"です。そして他者の「大好き」をすべて理解できないからこそ、他者の「大好き」を知りたい、聞きたいと思うし、自分の「大好き」を届けたいと思うのではないでしょうか。



f:id:goma_es:20200907184134p:plain
ここ、同好会に絆される前のケンケンした栞子っぽい発言ですごい好きです。至極当然、という感じがもうすごい栞子



f:id:goma_es:20200907184221p:plain
「互いの大好きを尊重する世界」がせつ菜の目指す素晴らしい世界だというわけです。ところで皆さん、ニジガク1stライブの円盤は見返しましたか?




"like"と"love"

「LIKE IT! LOVE IT!」には"like"と"love"という近しい意味合いのワードが登場します。何か違いがあって使い分けされているのかなと思って"like"と"love"の違いについて調べてみましたがよくわかりませんでした。。。辞書的な意味合いで言えば"like"は強い感情の伴わない「好き」で、"love”は愛情や執着のような強い感情の伴う「好き」*2のようですが、あんまりしっくりきていません。


なので、今の僕の中では「大好き」に該当するのは”love"かなあという感じで、一方の"like"は他者から届けられた「大好き」を受け入れた、尊重した際に生じる「それいいね!」的な感情なんじゃないかなあと勝手に仮説を立てています。もはや"like"の意味合いから離れ初めているような気もしますが、他者の大好きに自分の強い感情が伴いにくいと考えるならば、"like"をこのように解釈するのもそこまで間違ってない、、、いやわかりません。



とりあえずの結論としては、"like"と"love"をひっくるめて、「LIKE IT! LOVE IT!」は自他の「大好き」を尊重しようというニュアンスが表れたタイトルであるくらいに思っておきます。




Let's glitter!

歌詞を読むとせつ菜の求める「大好きを尊重する世界」がこれでもかと広がっています。その中でも、個人的に特に目を引いたのは、



どこまでも全力で叫ぼう
ありのまま見せてよ キミ色
Let's glitter! 止まらない!



「大好き」を叫ぶことは輝くことであると。
輝きは自分自身の中にあると、どこかで聞いたフレーズに近しいその気持ちを分かっているから、多くの人がせつ菜の「大好き」に魅せられるのかもしれませんね。

*1:そのコンテンツを楽しめる下地を知識として持っているかどうかもハマるかどうかの重要な要素だと思います。

*2:Weblioの検索結果です。もっと詳しく知りたければ語源とかそういうところを調べるべきな気がしますが時間の都合上お察しください。

哀温ノ詩【ニジガク3rdアルバム感想】

今日はエマです。「哀温ノ詩」を何故エマが歌うのか、どういう意味があるのかについて考えたいと思います。

当然ですが、がっつりエマのキズナエピソードの内容に触れています。






























哀温とはなんぞや

哀温。聞き慣れない単語です。ここは先人の知恵をお借りしたいと思います。


「哀温」は和の音楽の源流を想起させるべく引用された語である

「哀温」とは何か?──見えてきた“日本音楽の源流”
https://note.com/nozo4/n/n181ca27b71b6


これは記事の著者による仮説です。哀温という言葉が何故このような意味を持つと考えることができるかは引用元の記事を是非読んでいただきたいです。

























……読みましたか? では哀温という言葉が持つニュアンスを踏まえてエマが「哀温ノ詩」を歌うことになった経緯を追ってみたいと思います。



受け継がれてきたもの

「哀温ノ詩」はマイが先輩から受け継ぎ、そしてエマがマイから継いだ詩です。そして、エマがスクールアイドルを好きになったきっかけでもあります。エマと「哀温ノ詩」の出会いはキズナエピソードにて語られています。


f:id:goma_es:20200906144208p:plain

f:id:goma_es:20200906143649p:plain
キズナエピソード20話より。ここでエマが言う乗り越えられたこととは……


f:id:goma_es:20200906143751p:plain

f:id:goma_es:20200906143814p:plain
ここではないでしょうか。キズナエピソード1話より。


エマは夏川写真館でマイと出会うことで「哀温ノ詩」と再会を果たすわけですが……


f:id:goma_es:20200906144029p:plain
マイの語りかたから、「哀温ノ詩」が代々受け継がれてきた詩であることが分かります。


f:id:goma_es:20200906144137p:plain

f:id:goma_es:20200906145708p:plain
そして、「哀温ノ詩」はマイの方から先輩に継がせてくれと頼み込んでいることが語られます。先輩は「本当に大切にしてくれる人でなきゃ継がせない」と言い、マイに特訓をつけます。


このようにストーリーでの「哀温ノ詩」の扱いをみるに、やはり上記のnote記事の仮説は正解に近いように思えます。


「哀温ノ詩」の製作者は、和の音楽の源流を想起させる「哀温」をタイトルに入れることで、今日まで受け継がれてきた和の音楽(声明)のように、この歌も長く大切に歌い継がれて欲しいと願いを込めたのではないかと思います。そして「哀温」ということばから、「哀温ノ詩」を聞く人たちは、詩は勿論のこと、その歌詞に込められた人々の気持ちの両方が大切に受け継がれてきたことが想起できる……素敵な詩ですね。



哀しみに寄り添い、温もりを与える
~エマのルーツ~

哀温、には文字そのままのニュアンスも込められていそうです。

「哀温ノ詩」の歌詞は、哀しみに寄り添い、温もりを与えるということが繰り返し語られています。サビに"侘びし度 奏で 包み込みましょう"とありますが、ここで言う侘びとは「悲嘆にくれるさま」を表しています。哀しみにくれる度、この詩を歌い温もりを与えましょう、ということなのでしょう。


そしてCメロでは、同じように哀しみにくれる人がいたならば、(私と)同じようにこの歌で温もりを与えて欲しいと語られます。これはまさに「哀温ノ詩」に勇気付けられ、大切に思っている人でなければ継がせないというマイの先輩が言っていたことの理由となっています。


ところでエマの目指すスクールアイドルとはなんだったかというと、

f:id:goma_es:20200906153334p:plain

f:id:goma_es:20200906150849p:plain

「哀温ノ詩」で語られる温もりということばは、エマにとって聞き手に与えたい勇気や癒しなのでしょう。

エマが世話焼きで癒し上手なのは、勿論下のきょうだいが多いことも理由なのでしょうが、「哀温ノ詩」のコンセプトに影響を受けている部分もあるのではないでしょうか。「哀温ノ詩」の歌詞がどんなものか知るために日本語を猛勉強をしたというのは想像に難くありません。

また、エマが好む民謡や子守唄も、今日まで広く受け継がれてきたという点では、スケールの違いこそあれど「哀温ノ詩」に近いものがあります。

そんなわけで結論付けると、

「哀温ノ詩」はエマ・ヴェルデというキャラクターそのもののルーツと言うべき曲である

というのが僕が思う「哀温ノ詩」です。
あとRyota Saito氏は最高です!



ライブに思うこと

「Evergreen」「声繋ごうよ」とは違いクラップもなく、静かに聞かせる曲なので現地で聞きたかったというのが大大大本心ではあります。いつか生で聞けることを心待ちにしていますが、それはそれとして2ndで聞けることはとても楽しみです。

衣装がどうなるのかというのも気になるところです。もし2ndでソロ3曲連続やるのであれば早着替えは必須というか、、、大丈夫なのかな? 当日はセトリについても注目して見たいと思います。




やがてひとつの物語【ニジガク3rdアルバム感想】

※LLD増刊号のインタビュー内容に触れています。
















しずくらしさとは

演じることにのめり込むあまり、自分の「私らしさ」を見失ってしまう……この気持ちや言葉は本当に私のものなのか? 本当の私はどこにいるのか……

LLDのニジガク増刊号で前田さんが語っているように、しずくは「自分の内面と向き合うこと」が多い人物で、それは演じることが大好きであり、彼女の日常であるが故のことなのだと僕は思っています。自分の今のこの気持ちやことばが誰のもので、どんな物語があるかを考えることはしずくにとっての日常で、だからこそ、ふとした瞬間に自分が抱いている感情が本当に自分のものなのか分からなくなってしまう……

"まだ答えは出せない 簡単には言えない"
"私のこの気持ちや言葉は台詞なのかな"

日常的にこのような思考に陥るのってめちゃくちゃ辛いと思うんですよね。かすみと他愛のない話をしているときに、寝ている彼方を起こしているときに、練習中のふとした瞬間に、こうした思考がいちいち脳裏を過るわけです。辛いし苦しいし、自分も演じることさえも嫌いになってしまいそう。文字通り"一人迷い混んだ闇"の中の状態であり、そんな中自分らしさを取り戻すきっかけをくれた人というのは大袈裟でもなんでもなく、しずくにとっての"闇を照らす一筋の光"なのだと思います。

ただ、個人的にはしずくのらしさは演じることそれ自体に留まらないと思っています。
最近のストーリーでは少しナリを潜めていますが、ロマンチストな部分は歌詞にふんだんに盛り込まれています。先程の"闇を照らす一筋の光"もそうですし、"やがてひとつの物語"というフレーズは「運命的な出会い」に近いニュアンスがあるように感じます。
もうひとつの「しずくらしさ」はやはり好きなものにはとことんのめり込む姿勢でしょうか。演じることへの勢いもそうですが、"先輩"にグイグイ行く部分なんかもらしいなと思います。そういう意味では、「やがてひとつの物語」はしずくのらしさを存分に詰め込んだしずくの物語そのものであるとも思います。そんなしずくと"あなた"の物語が、ステージ上でどのように表現されるのか、とても楽しみです。



余談

"あなた"はしずくから話を受け取ったときに「少し驚いた」みたいな反応をしていましたが内心心臓ばくばくだったのではないでしょうか。いやだってもうこれ告白やん。



決意の光【ニジガク3rdアルバム感想】

メッセージに合わせて更新するつもりだったのにこのザマ。スマブラ楽しい!!!!!!(プロコン破壊衝動と戦いながら)

当たり前ですがメインストーリー(17章まで)とサイドストーリーの内容に触れています。



やはり和ロックは良い

和要素は栞子のお稽古ごと(お家柄)から、ロック要素は薫子の影響からか。薫子がロックなスクールアイドルだったかどうかは完全に想像ですが……少なくとも見た目はそれっぽい。家のことも薫子のことも大切に思っているから、曲を和ロックにお願いした世界線の三船栞子がいてもいい。

ところでサビ最後のドラムと2番サビ後の間奏部分のギタードラムが異常にカッコいい。


歌詞について

歌詞はメインストーリー17章までと、キズナエピソード6話までの話の展開や栞子の心情が織り込まれている。好きなのは"人知れず涙こぼす誰かに届くまで"というフレーズ。スクールアイドルとしてやりたいことは漠然としていても、栞子の行動原理は登場時から一貫していることが伝わる。まさにまっすぐ系スクールアイドル。

また、"一歩前に踏み出してみれば明日は変わる"というフレーズも歩夢の「夢への一歩」が思い起こされるようで好き。歩夢は栞子がスクールアイドルに惹かれた一要因なので、歩夢のライブを見て、あるいは本人の人柄に触れて、私もあんな風に一歩を踏み出すという決意を歌詞に紡ぐ三船栞子さんも実在していて欲しい(強欲なオタク)。


八重歯問題

栞子の八重歯は左右どちらに生えているのかという八重歯問題。ストーリーで見られる立ち絵は左(向かって右)だが、3Dモデルは右(向かって左)である。そのため、三船栞子は見られる角度によって左右どちらかに八重歯を生やす可変式八重歯の持ち主であると有識者の間でまことしやかに囁かれていた(要出展)。


f:id:goma_es:20200904120539p:plain
初登場時スチル。立ち絵同様、左に生えている


f:id:goma_es:20200904123256p:plain
演説でせつ菜を思い切りぶん殴るシーン。ここは右に生えており角度によって生やす(伸ばす?)八重歯を変えていることが分かる


f:id:goma_es:20200904120318p:plain
f:id:goma_es:20200904115306p:plain
3Dモデルだと右固定。決意の光は体を左回転させる動作が多いためか、ライブ中は映えを意識して右に生やしているらしい


更に、メインストーリーを見返していて気がついてしまったが、三船薫子の八重歯は両方に生えている。栞子の八重歯は(見えないだけで)実は両方に生えているのでは説を覆す発見である。今はわざわざ片方の八重歯を伸ばしてはもう片方は縮めるという面倒な作業(?)をしているが、成長と共にその必要もなくなると考えられる。八重歯問題の結論としては、マジで左右どっちでもいい


f:id:goma_es:20200904113912p:plain
立派な跡取りになる頃には生え揃うらしい