LIKE IT! LOVE IT!【ニジガク3rdアルバム感想】

※せつ菜のキズナエピソードの内容に触れています。








































君の大好きのカタチ 僕の大好きのカタチ

せつ菜のキズナエピソードでは、せつ菜の大好きへの在り方がアップデートされましたね。


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キズナエピソード第20話より


せつ菜の言うとおり、「大好き」とはなろうと思ってなるものではなく、気が付いたらなっているもので、だからこそ他者と同じ気持ちになることは難しいわけです。オタクとしてはうんうんと頷く話でもあり、耳が痛い話でもあります。まあオタクに限った話でもないわけですが。



耳が痛い話というのは、例えば、自分の趣味を広めようとしても周囲に理解されなかったり、広めても自分とは熱量が違ったり……あるいはその逆に布教された趣味やコンテンツは好きになったけれど、布教してくれた友人と同じくらいのめり込むほどではない……周囲とのギャップに戸惑ったそんな経験です。自分の(他者の)好きなコンテンツを布教した(布教された)オタクからすれば、このような感覚を覚えたことは多いと思います。



趣味やコンテンツに対する自分の中の熱量の違いというのは、自分で嫌というほどはっきり自覚できるものです。それはコンテンツへの入り口に自発的に入ったか、他者から勧められて入ったかはあまり関係なく、純粋に自分の好みであるどうか。刺さる部分がどれだけあるか。*1



しかし自分の気持ちに正直でいないと、このコンテンツは好きだけど、それは間違いないんだけど、それでも自分の中に「これを好きになろうとしている」という気持ちがある、どうも全面的に大好きだと言えないような感覚がある……というように、せつ菜がライブで抱えたようなイマイチ乗り切れないモヤモヤした気持ちを抱えることになりかねません。



コンテンツの全てが好きになるという人はあまりいないと思います。どこかしらに「これは自分には合わない」という部分が存在している。にもかかわらず「自分には合わない」というものを好きになろうという思考に陥ると、これは不幸の始まりだと思います。こうした思考に陥る原因は外部にも自分の内部にもあると思います。例えば自分はそんなでもないのに周りは好きだから……とか、好きなものは細部まで好きでいなくちゃいけないという思い込みとか。



ましてや人から教えられたものであれば、自分はその人ではないのだから、その人の「大好き」が完璧に分かるはずもありません。他者の抱える大好きのカタチと、自分がそれを好きだと思うカタチは一致しない。一致せずはみ出した部分を分かろうとすることはできると思いますし、実際に分かるケースも多くあるでしょう。しかしすべてが理解できるものであるという考えは、栞子が言った通り"独善的"です。そして他者の「大好き」をすべて理解できないからこそ、他者の「大好き」を知りたい、聞きたいと思うし、自分の「大好き」を届けたいと思うのではないでしょうか。



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ここ、同好会に絆される前のケンケンした栞子っぽい発言ですごい好きです。至極当然、という感じがもうすごい栞子



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「互いの大好きを尊重する世界」がせつ菜の目指す素晴らしい世界だというわけです。ところで皆さん、ニジガク1stライブの円盤は見返しましたか?




"like"と"love"

「LIKE IT! LOVE IT!」には"like"と"love"という近しい意味合いのワードが登場します。何か違いがあって使い分けされているのかなと思って"like"と"love"の違いについて調べてみましたがよくわかりませんでした。。。辞書的な意味合いで言えば"like"は強い感情の伴わない「好き」で、"love”は愛情や執着のような強い感情の伴う「好き」*2のようですが、あんまりしっくりきていません。


なので、今の僕の中では「大好き」に該当するのは”love"かなあという感じで、一方の"like"は他者から届けられた「大好き」を受け入れた、尊重した際に生じる「それいいね!」的な感情なんじゃないかなあと勝手に仮説を立てています。もはや"like"の意味合いから離れ初めているような気もしますが、他者の大好きに自分の強い感情が伴いにくいと考えるならば、"like"をこのように解釈するのもそこまで間違ってない、、、いやわかりません。



とりあえずの結論としては、"like"と"love"をひっくるめて、「LIKE IT! LOVE IT!」は自他の「大好き」を尊重しようというニュアンスが表れたタイトルであるくらいに思っておきます。




Let's glitter!

歌詞を読むとせつ菜の求める「大好きを尊重する世界」がこれでもかと広がっています。その中でも、個人的に特に目を引いたのは、



どこまでも全力で叫ぼう
ありのまま見せてよ キミ色
Let's glitter! 止まらない!



「大好き」を叫ぶことは輝くことであると。
輝きは自分自身の中にあると、どこかで聞いたフレーズに近しいその気持ちを分かっているから、多くの人がせつ菜の「大好き」に魅せられるのかもしれませんね。

*1:そのコンテンツを楽しめる下地を知識として持っているかどうかもハマるかどうかの重要な要素だと思います。

*2:Weblioの検索結果です。もっと詳しく知りたければ語源とかそういうところを調べるべきな気がしますが時間の都合上お察しください。